建築構想
『小さな美術館』
敷地は箱根早雲山の北斜面に位置し、対面に大文字焼きの明星ヶ岳を望む。戦前に開発された歴史ある別荘地の一画であるが、狭い道がL字に囲んだ角地で、ケーブルカー駅のすぐ横にもかかわらず周囲には不在の家が目立ち、現在はこの地域だけが観光マップからすっぽり抜け落ちた格好になっている。 こうした場所に建つ既存住居の庭に、写真展示のギャラリー、撮影のスタジオ、ワークショップ、それに宿泊をも兼用する100�Fほどの小さな写真美術館を増設することが課題である。展示は写真のみではなく、花や人形など他の分野とのコラボレーションも企画しているために、壁面の他に、デスプレイ用のカウンターが必要とされた。鑑賞のスタイルも立式と座式を併用できるようにカウンターの高さに配慮が求められた。また、滞在して鑑賞する人にはハンモッグを吊ってゆっくりと楽しんでもらうために、柱にひっかかりの枝を残した。
『幾何学とエロス』
外部は金属素材に包まれた幾何学の形態を重視し、内部は荒木や藁漆喰、紙といった自然素材の表現を生かし、内外を対比的に構成した。この相反するものの表現への関心は、偏愛するフランスの小説家アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグがしばしば好んで取り上げるところの、透明な秩序の支配する幾何学的な空間と、そこで展開されるバロック的な感覚の狂乱という「幾何学とエロス」のテーマに倣ったものである。この特異な両義的世界をアートの作品に見事に仕立てているのがローランド・ペンローズの「キャプテン・クックの最後の航海」�@であるが、告白するならば、私はこの上半身の女体(エロス)を金属籠の球体(幾何学)で絡め捕った「キャプテン・クックの最後の航海」を建築において是非とも表現したいのである。 具体的には、あのサルヴァドール・ダリがハリウッドのスター、メイ・ウェストの写真を元にアパート全体をデザインした方法�Cに学びながら、かなり偏執的な引用と暗喩の折衷的手法によって、冷たい結晶体と、その内部で燃えさかる炎という「幾何学とエロス」の両義的な形而上の知の世界の構築を目論んだのである。
『楕円・天の鏡』
平面は√矩形に、卵形楕円の組み合わせからなる。この平面構成は空間が人間の内側にあることを教えてくれたルーチョ・フォンタナの作品「空間概念 神の終焉」�Dの写しである。 楕円は1階スタジオに陰影の無い連続する壁面を与え、その峻立する楕円の筒と空中に浮く直方体の相貫は二階ギャラリーに適度の高さの展示カウンターを用意する。2階天井中央の明かり障子にはブラフマの黄金の卵の図像が浮遊する。楕円は卵のアナロジーであり、その形象は幾何学の中に宇宙の生気を吹き込む。 全ての2階の床は松島の五大堂に架けられた透かし橋のような、目透かしの粗板張りである。ギャラリーには更にその粗板に穴を彫り抜き、天の川と星座を写しとっている。天の鏡に見立てた透過する床を、宇宙との交換の場に昇華させるのが狙いである。
『股木』
2階ギャラリーには独立した4本の股木がある。楕円の平面と矩形の小屋組みのズレを整合させるための通し柱である。この股木のある部屋の北壁面に小指サイズの小さな穴が1つある。覗くと、ちょうど明星ヶ岳山腹の大文字が目に入ってくる。穴から離れて、再度ギャラリーをゆっくりと見回すと、今見た大の字の逆さ形が股木に重複することに気づく。すると俄かに先ほどの壁穴の覗きの行為と股木の形の連想から、マルセル・デュシャンの遺作「1.落ちる水、2.照明用ガス、が与えられたとせよ」�Aの白色蛍光灯にさらされたポルノグラフィックな大股開きの裸体の女の光景をイメージするのである。更にこの連想ゲームは展開して、ハンス・ベルメールの「人形」�Bシリーズや、ジャン・コクトオの「大股びらき」まで波及するだろう。構造上の合理的な股木がエロスの誘発装置に変換しているのである。
『韓紙』
ギャラリーの展示壁面と天井には現在も韓国で一般的に用いられている伝統的な手漉きの韓紙を用い、オンドル房特有の遠近感の喪失した繭の中のような宙吊りの世界を表現している。この空間は淡い光の下ではフェティシュで不健康な気配を漂わせながらも、作品が展示され、照明が点いたときには紙のもつ素材のリアリティによって身体的な暖かさを醸しだす。
以 上。  
設計
ハンマウム建築工房
〒214ー0005
神奈川県川崎市多摩区寺尾台1ー18ー17
e-mail [email protected]
担当:富井正憲/吉田福次
/山本俊雄/飯塚渉

文章:富井正憲
/資料(新建築 住宅特集2002/8月号掲載/初出)